第一の解説: 人間否定の問題
「人類の味方」を読むと、多くの人が怖くなります。本物であるかのように読みます。現実であり、本物です。怖くなって引き下がろうとします。何らかの形で否定しようとするでしょう。
ある意味、『人類の味方』の教材は、あなた方の弱点を明らかにします。あなた方の強さを呼び起こします。あなた方が本来持っている知恵を呼び起こします。あなた方の中にある「知」([K]nowledge)というスピリチュアル・マインドを呼び起こします。しかし、同時にあなた方の弱点も明らかにします。あなた方の弱さを明らかにします。あなた方自身の意識をコントロールできていないことを明らかにします。あなた方の宇宙への無防備な境界線を明らかにします。あなた方の思い込みや、先入観、そして宇宙における生命に対する全体的な無知を明らかにします。
ここで重要なのは、人類が地球の外から知的生命体に遭遇することがあるかどうかを自問することです。もし遭遇した場合、人類はどう対応するのでしょうか?新しい訪問者が友好的かどうか、人類はどうやって知るのでしょうか?人類はどうやって訪問者の動機や意識を見分けることができるのでしょうか?彼らの組織や方法などを、人類はどうやって見分けることができるのでしょうか?
これらの質問を真剣に考えれば、答えがほとんどないことに気づくでしょう。そして答えがなければ、おそらく怖くなるでしょう。自分の弱さを感じるでしょうし、このような出会いのために人がどれほど準備不足であるかを感じるでしょう。
ほとんどの人はいまだに、自分は宇宙で孤独であり、これまでも孤独であり、これからも孤独であると思っています。そのため、この重要な一連の疑問について、本当に多くの人が考えることはありません。さらに、それを考える人たちでさえ、宇宙での生活や、それが人類に何をもたらすか、人類がこの出会いからどれだけのものを得るかについて、非常にロマンチックに考えることが多いです。訪問者が人類の芸術や文化、歴史や気質にどれほど興味を持つだろうかと考えるのです。
こうした疑問を本当に考え、重要だと思うごく少数の人々の間でさえ、しばしばロマンチックな憶測が飛び交います。人々は宇宙の生命について現実的になることを恐れています、自分の弱さが露呈してしまうからです。弱点といっても、あなた方のテクノロジー不足のことではありません。私たちが言っているのは、あなた方の意識の欠如、人生における集中力の欠如、国や文化における社会的結束力の欠如のことです。人類は内部で分裂し、争っています。そのため、外部の力に対して脆弱なのです。しかし実際には、あなた方の脆弱性はそれ以上に、あなた方の心の状態に関係しています。それは、自分自身と自分の世界に対する見方と関係があります。それはあなた方の思い込み、幻想、夢中になっていることに関係しています。
まるで大嵐が勢いを増してかのようで、しかも、しばらく前からそうなっていたにもかかわらず、人々はそれに注意を払わなかったようなものです。そして、嵐がやってきたとき、それは猛威を振りました。大きな衝撃とともに襲ってきます。人々は完全に意表を突かれ、憤慨し、恐怖します。しかし、予兆はありました。
人間の科学でさえ、宇宙における生命の優勢を理論的な可能性として認め始めています。しかし、最初の大きな出会いが何を意味するかなど、誰が気にするでしょうか?
「人類の味方」からのブリーフィングが提出、発表されると、さまざまな否定、批判、否認が起こるでしょう。なぜ?多くの人が起きる可能性が高いと考える出会いをなぜこれほどまでに拒絶するのでしょうか?しかし、それが実際に本格的に説明されると、多くの否定を目にすることになります、「信じられない!ばかげてる!ありえない!」また、科学者達からも「他の種族がここに来ることは、移動手段や速度などの制限を考えると不可能だ」というのを聞くでしょう。なんとおこがましい!人類は、銀河の他の国や文化が長い時間をかけて発展させることができたことを、あえて推測する必要があるのでしょうか?宇宙は人間の理解によって制限されているのでしょうか?他の種族が技術面で人類の偉業をはるかに凌駕している可能性はないのでしょうか?
人々は「そう言われと、そうですね。。。もちろんその通りです!」と言うかもしれません。しかし、現実の遭遇に直面したとき、人々はまったく違うことを口にします。理想主義は捨て去られまする。ロマンティシズムは疑心暗鬼に陥ます。輝かしい期待は不安と懸念に覆われます。
人類の味方のメッセージが示されると、人々は恐怖の核心、準備不足、立場の弱さを感じ始めます。人類の味方は、宇宙の生命について非常に現実的な見解を示しています。彼らがここにいるのは、あなた方が抱くかもしれないあらゆる疑問に答えるためではなく、その代わりに、今日世界で実際に起きていることを認識してもらうためです。また、人類が他の形態の知的生命体に遭遇するという見通しにまつわる空想的な憶測の多くを払拭するためでもあります。空想的な期待、希望に満ちた期待でさえ、その核心には恐怖があります。あなた方は不確かで、わからないからこそ、そして準備ができていないからこそです。あなた方は自分の世界の表層に生き、宇宙にさらされ、無防備である自分がいかに脆弱であるかを、素直に認識する瞬間があります。
もしあなたが他の種族で、あなたの世界を訪れ、人間の行動をただ観察したいと思ったとしましょう。俯瞰すれば、すべてが見えます。すべて。人間の活動、人間の関与、人間の争い、人間関係、人間のテクノロジー、人間のコミュニケーション。これらのすべてが、目立たない観察者が見ることができるのです。
したがって、人々がなぜ恐れるのかを理解することは非常に重要です。接触という現実に対する恐怖は根深いです。多くの人々は、自分たちが神様の創造の頂点にいるという、非常に美化された見方をしています。自分たちの宗教は、人間の精神性とアイデンティティーの卓越性の上に成り立っていると信じています。人類は、知的生命体からなる大いなる共同体(Greater Community)の中で進化している小さな一種族に過ぎないと知ったら、どうなるでしょうか。さらに、人類と呼ばれるこの種族は、実は広大な創造の中では非常に弱く、分裂し、取るに足らない存在なのだと知ったら、どうなるのでしょうか?
人々の宗教観は、このような現実を受け入れることができません。宇宙はこの世界を中心に回っているのではなく、この世界は広大な銀河系の中の、取るに足らない星の周りを回っている小さな惑星にすぎないということを示す科学の発見によって、こうした見方の多くはすでに侵食されつつあります。では、人間の優位性はどこにあるのでしょうか?宇宙の中で自分は何者なのでしょうか?誰かにとって、あるいは何かにとって、あなたは本当に重要な存在なのでしょうか?
私たちは、あなたの不安の核心に迫るために、このような質問を投げかけているのです。なぜなら、あなたは自分自身の中にある不安と向き合わなければならないからです。これができない、あるいはしようとしないことが、宇宙における人類の位置や、今日世界で起きている地球外からの介入の現実に関する、人間のすべての無知と思い込みの根源なのです。
「エイリアンの介入なんて起きていない、ありえないし。ばかげている!注目されたいとか、退屈しているとか、そういう特定の人たちの空想にすぎない」と人々が言います。しかし、これが言い訳にすぎません。これが本当の不安から自分をなだめる方法なのです。
合理的かつ客観的に考えれば、こう言うでしょう、「もちろん、私たちはいつかは訪れるだろう!つまり、宇宙に知的生命体が存在するのなら、私たちがここにいることを誰かが知っているはずだ。」確かに、人類の科学の限界に縛られなければ、もっと多くの可能性への扉が開かれるのです。
このような質問をすることができれば、こう思うかもしれない、「そうだ、もちろん人類は地球外生命体に遭遇するだろう。そう、私たちの資源は精査されるだろう。そう、私たちの世界は評価されるだろう。そうだ、宇宙には我々の世界を自分たちの組織の一部にしたいと考える大国が他にもある。そして、彼らはこの美しい場所を現実的な方法で利用したいと思うだろう。」
このような観察結果はとても明白です。これらの推測(もしそう呼べるなら!)は、とても合理的なものなのですが、人々はそれを考慮しようとしません。不安や恐れのために向き合おうとしないのです。実際、宇宙における生命の現実、宇宙における生命との出会い、そして介入そのものが、今日の世界で最も否定されている現実なのです。人々はこう考えるでしょう。「私は仕事がある。家族がいるし、日常問題もあるし。私には関係ないことなんだ」と言うでしょう。何を言っているんだ!世界で介入が起こっているとして、それがあなたやあなたの人生、そしてあなたに起こることに関係ないと思いますか?
分かりますか?これが「孤立主義的思考」なのです。同盟のブリーフィングは、人類の孤立が終わったという現実を突きつけています!しかし、孤立主義的思考は衰えることなく続いています。大いなる共同体からの力に直接遭遇し、自分の人生が何らかの形で乱されたり動揺したりしない限り、自分の人生と運命を形作っている大いなる現実に気づかず、これまでと同じように考え、これまでと同じような前提で生き続けるだけです。あなたの人生と運命を変えつつある、より大きな現実に反応できるようにするために、神様はどのようにしてあなたに注意を促し、気づかせることができるのでしょうか?
溺れているときに救命胴衣を投げてくれるような神様がそこにいるという考えは、人々はとても好きだが、神様が彼らの人生に干渉し、彼らが本当に見たくないものを見せてくれるという考えは、まあ、それは本当に信仰の試練ではないでしょうか?それがまさに今日起こっていることなのです。大いなる共同体の霊性(Greater Community Spirituality)の教えがこの世にあるのはそのためです。これは、人類にこの大きな現実を警告し、人類に準備をさせるための神様のメッセージなのです。自覚だけでは十分ではありません。もしその意識が一次的な不安や恐れを生むなら、人々は何をすべきかわからなくなります。「ああ、大変だ!どうすればいいんだ?何をすべきなのか?」なぜなら、彼らはこれまでこのような事態に直接対応する必要がなかったからです。だからこそ神様のメッセージは、人々が大いなる共同体に住んでいるように考えることができるようにするための準備をもたらすのです。そうすれば、自分たちや自分たちの生活、そして自分たちの世界に直接的な影響を及ぼそうとしている大いなる共同体の現実がそこにあることを意識し始めることができます。
準備は、あなた方により大きな意識と自覚、感受性を与えなければなりません。そうでなければ、耕されようとしている畑にいるアリのコロニーのようなものです。哀れなアリのコロニーは、何が起ころうとしているのか、まったく分かりません。滅亡の瞬間までは、まあ、人生はこれまで通りでしょう。
しかし、あなた方はアリではありません。未来を考えることができるし、目に見える範囲を超えたことについて考えることもできます。そして、世界の中でも、世界を超えた大いなる共同体の中でも、より大きな人生の舞台の中で生きていると考えることができます。この大いなる共同体を意識するようになると、自分の世界がとても特別な場所であり、素晴らしい特質を備えていることがわかるようになります。そして、こう考えるかもしれません、「もちろん、他の人たちは私たちの惑星に興味を持つだろう。私たちに興味を持つのは、私たちが素晴らしいからではなく、私たちがこの場所の管理者だからだ。私たちはこの世界を支配しているのだから。」そして、自分の置かれた状況について、とてもとても客観的に考え始めるでしょう。
しかし、客観的で科学的な視点を持っていると主張する人々でさえ、実際にはまだこの根本的な恐怖と不安に支配されています。彼らは、世界が訪れているという事実、そしてインターベンションが起こっているという事実を、いまだに全否定して生きているのです。彼らは否定された状態にあるため、それを考えようともしません。彼らはそれに近づこうとしません。情報や証拠は至るところにあるのに、彼らはそれに近づこうともしません。彼らはただ「いやいや、違う、違う。それはすべて愚かなことだ。不安な人たちが注目を集めようとしているだけだ」と言うだけです。
彼らは否定しています。自分たちは理性的だと思っていますが、本当はとても理不尽なのです。自分の無知と他人の無知を支え、強化しているのです。そして、たとえ介入が起こっていることを受け入れられなかったとしても、宇宙での生命の予感は、彼らにとってとても素晴らしくてロマンチックな旅なのです。最も輝かしい夢を見るようなものです。「ああ、私たちは多くのテクノロジーを与えてくれ、平和に生きる方法などを啓発してくれる、先進的な種族に出会うだろう」と思っています。これはすべて愚かなことです!彼らは宇宙で何が起きているのか、まったくわかっていないのです。
いわゆる合理的な人々が、大いなる共同体の視点(『大いなる共同体の霊性』との教えで提供されています)を与えられたら「大変だ!」と思うでしょう。それは恐怖と不安の核心に触れます。そして彼らはその瞬間、自分がいかに無防備で、備えがないかを痛感します。そしてあなた方は人々を見てみると、彼らは何もわかっていませんし、知ろうともしたくありません。そしてあなた方は自分の世界を見てみると「大変だ!私たちは知らないうちに追い越されてしまうかもしれない!」と言うでしょう。
もし大いなる共同体の霊性での準備がなかったら、また、あなた方がこの意識を持って行くところがなかったら、自分には何の手段もないと思い、圧倒されるかもしれません。まるで人類が、疑うことを知らない先住民族のように、誰かに乗っ取られるのを待っているかのようです。
そしてもちろん、テクノロジーは救済に等しいという思い込みにも問題があります。これは世界の多くの文化圏で現代宗教となりつつあります。先進諸国は、テクノロジーこそが自分たちの救いだと考えるようになっています。「問題がある?テクノロジーがそれを解決してくれる。」「理解できないことがある?テクノロジーはそれを克服する。」「私たちが準備できていない状況が起こりうる?まあ、テクノロジーはその挑戦に応えてくれるだろう。」「我々はテクノロジーでギリギリのところで難題に立ち向かう。」 何が起ころうとも、テクノロジーが救ってくれるというある種の疑いようのない信念があります、テクノロジーと人間の創意工夫が混ざり合ったものです。そして、どんなに圧倒されるような状況であっても、最後の瞬間には創意工夫とテクノロジーが勝利を収めるのです。
これはすべて否定の一部だとわかりますか?希望的観測とはそういうものです。大いなる共同体に対してなら、まさに希望的観測です。あなた方の星を自分たちのものにしようとする大いなる共同体の勢力に対して、人類が技術的な答えを出すと思いますか?私たちはテクノロジーが彼らの存在や影響を打ち消すことはできないと断言できます。あなた方よりおそらく1000年も技術的に進んだ種族に直面したとき、今後数年の技術進歩で何か違いが生まれると思いますか?
熟考してください: 答えはテクノロジーのレベルではできません。心と意識のレベルで起こります。今現在、世界に介入している異星人は、世界の資源を保護し、労働力としての人間の存在を維持することを強く懸念しています。彼らはテクノロジーだけでこれを達成することはできません。そう、彼らのテクノロジーは、調査のために自分たちのものとしたい人物を無力化するのに役立ちます。しかし、もし彼らが強引にあなた方の世界にテクノロジーを行使すれば、世界の資源を破壊し、ここでの人間の存在を破壊することになります。従って、彼らはあなた方が対抗できる手段こそを使わなければなりません。
しかし、ここでもう一度恐れに直面します。人々は、彼らのテクノロジーなし、テクノロジーが勝利するという希望や信念なし、人間の知性が問題を解決できないと気づくからです。再び非常に脆弱な状態に戻ることになります。しかし、ここでは知性のことを話しているわけではありません。人類がこの存在に対抗し、大いなる共同体で自己を強化することができるのは、知性のレベルではありません。知性はテクノロジーと特定の問題解決において非常に重要な役割を果たしますが、この状況では、もっと深い認識が必要です。
結局のところ、あなた方の中には、知性が非常に優れた人々の中にも、介入を完全に否定し、宇宙における生命が遠い可能性でしかないと考えている人々がいます。そして、自分自身に問いかけます。「彼らがそんなに優れていて、知識が豊富なら、なぜ今日の世界にこの存在を感じることができないのでしょうか?なぜ、それを可能性として受け入れ、証拠を研究する代わりに、一蹴するのでしょうか?人々がそんなに賢いなら、なぜこんなに愚かなのでしょう?」無知は無知ですが、知識と視点を獲得することで補償できます。しかし、これは単なる無知ではありません。これは傲慢です。宇宙における生命が何であるかを知っているという前提です。まさか!人類は宇宙における生命が何であるかを知っているのですか?ふざけんな!人類は宇宙における生命は何かを知るにはまだまだ遠すぎて、哀れです!
技術が人類の救いの源という根拠のない信念を考えると、多くの人々はさて、もっと技術があれば、もっと救いがあると考えます。そして、技術が進んだ異星人は、自己中心的で争いごとをすることも、ずる賢いことも越えた進化を遂げたと思っています。技術が進んだ異星人には紛争がなく、人類がまだ直面している慢性的な問題を克服していると思っています。なんてばかげた仮定なんだろう!今日、あなた方には、百年前の先祖が想像さえできなかったような技術があります。それでも、あなた方自身でこれらの問題を克服したことはありますか?
したがって、専門家に答えを求めてはいけません。自分で答えを見つけなければなりません。専門家は知らないかもしれないし、知りたくないかもしれないからです。彼らもあなたと同じ人間であることを忘れないでください。彼らには彼らなりの恐怖や不安の閾値があり、それに向き合いたがらないかもしれないのです。
ある意味、介入は人類にとって最も挑戦的な出来事です。人類の責任、あるいは弱さの一端は、人類が生命を理解している、宇宙で何が起きているのかを理解している、誰が惑星への距離を移動できる、誰が移動できないか理解している、そして惑星に行くのにどれくらいの時間がかかるのかを理解している、という思い込みにあります。人間の理解が宇宙におけるすべての理解の基準となると思い込んでいるのです。これは人間の傲慢であり、人間の無知を支え、強化するものです。
それは「大いなる共同体のスピリチュアリティ」の教えの中にも示されているし、「人類の味方」からのメッセージの中でも非常に大胆に示されています。そして、もし宇宙の生命にロマンチックな考えで取り組む、もしくは、それを完全に否定したりするなら、あなたは大きな危険を冒しているのです。
ここで本当に必要なのは、人間の意識と学習におけるまったく新しい変化です。まるでこの偉大な段階に到達したかのように、まったく新しい理解のパラダイムが必要なのです。単に過去の理解を土台にして、人間の意識に別の特徴や別の次元を加えるということではありません。ある種の進化を遂げなければなりません。なぜなら、人間の理解はいまだに人間中心主義的な宇宙観に根ざしており、人類がすべての中心であり、宇宙の生命は人間の価値観や理想に従って機能していると強く信じているからです。
多くの人々にとって、神様は創造の中心である人間性に主眼を置いているという考え方がいまだに残っていて、他のすべては、この偉大な人間の物語の小道具のようなものです。あなた方の宗教を見てください。宗教は、大いなる共同体の現実に対処する準備ができているでしょうか?例え話をしましょう: この前の500年の間に、あなた方の世界には数え切れないほどの場所で、追い越された先住民族や同化され破壊された文化があります。それは今も続いています。彼らには宗教があり、それは非常に広大なものもあります。しかし、彼らの宗教は通常、国境外人間生活の現実を含んでいません。そのため、介入に直面したときにどう対応すればいいのかわからず、非常に脆弱な立場に置かれています。
大いなる共同体に比べれば、この世界における人類の前哨基地はジャングルの中の小さな村のようなものです。そしてこの村が、優位に立とうとやってくる勢力に直面したとき、何ができるでしょうか?実際には、最初に予想するよりも多くのことができます。まず第一に、介入に気づき、自分自身の恐怖と不安に向き合うことです。ここで必要なのは、自分がいかに準備不足であるか、いかに脆弱であるかです。そして訪問者が自分の利益のためにここにいると考え、信じるように、自分さえもいかに簡単に説得されうるかを知ることです。これが最初の障壁であり、残念ながら多くの人が乗り越えられない障壁です。彼らは引きこもったり、否定に走ったり、この問題全体に非常に好意的な見方を投げかけたりするでしょう。最初の難関は、自分の置かれている状況を認識することです。介入が今起こっていなくても、いつかはかならず起こる、と理解しなければならないでしょう。
ほら、面白いことなんです。宇宙に知的生命体や高度なテクノロジー、利他的な他の種族が存在するという大それた考えを持っている人たちはいますが、人々が一番恐れていることは、自分たちと同じような存在、でももっと強力な存在に出会うことです。宇宙外の知的生命体との出会いについて、人々が本当に恐れていることは何でしょうか?彼らは自分たち自身と出会うことを恐れているのです。異なる形で、かもしれません。おそらく訪問者は異なる姿をしており、異なる言語やコミュニケーション手段を使うかもしれません。しかし、人々が本当に恐れていること、誰もが話題にすらできないこと、特に啓発された環境でさえ、それは彼らが自分自身と出会う現実なのです。
これは、あなた方の訪問者が人間であるとか、知的生命体が人間の理想や信念に従って機能していると示唆しているのではありません。私たちがここであなた方に本当に伝えたいこと、そしてあなた方が折り合いをつけなければならないことは、あなた方と同じ欲求に突き動かされている存在に出会うということです。
あなた方が暮らしている大いなる共同体は、非常に競争の激しい環境です。この競争は、あなた方自身の世界でも見ることができます。自然界にも見られます。植物や動物のレベルでも見ることができます。しかし、大いなる共同体は、あなた方が理解することさえできない規模の競争環境なのです。したがって、その環境にいるすべての人、特に貿易や商業に積極的に参加する人は、資源を見つけ、他の国々と同盟を結ばなければなりません。また、そのような国々を説得して同盟を結ばせようとすることも多いです。
テクノロジーによって資源の必要性がなくなるわけではありません。テクノロジーは生命の根源的な欲求を終わらせるものではありません。これはあなた方にとってもそうだし、宇宙の誰にとってもそうです。確かに、テクノロジーはある種の基本的な活動から解放してくれるが、それはより複雑なものを生み出します。食料を得るために狩猟や漁業に出かけたり、畑を耕したりする必要はなくなるかもしれないが、仕事には行かなければなりません。食べるために必要な食料を得るためには、より複雑な生活を維持しなければなりません。テクノロジーは狩猟や採集からあなた方を解放し、基本的な農業からあなた方を解放したが、資源の必要性からあなた方を解放したわけではありません。実際、テクノロジーはあなた方の生活をより複雑で刺激的なものにしたが、別の面ではより困難でストレスの多いものにしています。
宇宙の生命も同じです。誰もが食べなければなりません。誰もが自分の創造したものを維持しなければなりません。誰もが、基本的な資源を奪い合ったり競争したりする他の知的生命体に対処しなければなりません。宇宙の先進国が資源を必要としないと思いますか?
国々や組織が大きくなればなるほど、その構成員の個人的な自由は制限され、秩序と適合性がより強く求められるようになります。だから宇宙では、本当に自由な国々は小さくて孤立しているのです。彼らのテクノロジーは彼らに優位性を与えたが、それを守り、隠し続けなければなりません。
例えて言うなら、100万ドルを手に入れて、その100万ドルを持って市場に出て行くような事情、これではとても大きなショックになるでしょう。今や誰もがあなたの友人です。今、誰もが自分の努力やプロジェクトに投資するようあなたを誘いたがっています。もし人類が国境を越え、その大きな意欲と事業を宇宙にまで広げることができたとしたら、それは小さな主婦が100万ドルを手に入れて市場に出かけるようなものでしょう。長続きしないでしょう。
ほら、否定され続けているこの人生の現実は、向き合わなければならないものなんです。この宇宙で、あなた方は誰に出会うでしょうか?自分と同じような種族に巡り合うことになります。完全に同じわけではありません。あなた方のような外見や話し方、服装ではないでしょう。しかし、彼らのニーズはあなた方に似ています。そして、宇宙で資源探検家となっている種族は、霊的に悟りを開いた種族ではありません。
したがって、一般的な思い込みや信念、空想や神話の多くを打ち消す必要があります。もしあなた方が状況に立ち向かえなければ、状況はあなた方を追い越してしまうでしょう。人々は導きを、力を、勇気を、平和を神様に祈り、神様はその準備として『大いなる共同体スピリチュアリティ』を送ってくださります。そして人々はこう言います、「こんなことを頼んだ覚えはない!これをどうすればいいんだ?関係ないじゃないか!」人々は何が関係あるのか分かっていません。人々は関係あると思うものは、彼ら個人にとっては重要かもしれないが、将来的に権利や自由を守ることにはなりません。
人類と宇宙の知的生命体との出会いは、人類の宇宙への旅から生まれたものではありません、人間の科学でも、人間の哲学でも、人間の宗教でもありません。他の種族からの介入が原因です。人類は紛争で世界を破壊し、世界の貴重な資源を台無していると他の種族は思っているから、自分たちのために世界を守るために介入を開始しました。
考えてみてみましょう。人間はこう反応するでしょう;例えば、もし世界の先進国が、ジャングルの奥地に何トンもの金やその他の貴重な鉱物を蓄えている小さな部族を見つけたとしたら、あるいは広大な森林に貴重な木材がたくさんあるとしたら、先進国は介入しないと思いますか?その資源が無駄になっていると先進国が感じたら場合は?あるいは、原住民が日光が好きだとか、自分たちで食料を育てたいとかいう理由で、すべての木を切り倒していたとした場合はどうでしょう?世界の先進国は、合法的にせよ違法にせよ、その資源を手に入れるためにあらゆる手を尽くすでしょう。それが人間のやることです。原住民が自分たちの持っているものを荒らしたり、ないがしろにしたりするのを黙って見過ごすと思いますか?もちろん、そんなことはしません。まあ、その土地が強国にとって何の価値もないのであれば、小さな部族にその保留地を与えれば良いでしょう。しかし、彼らが1億ドルの金塊の上に座っているのなら、その場合は保留地としてされないでしょう。
これが、現在あなた方を訪れている異星人と宇宙の中の他の種族によって、あなた方の世界がどのように見られているかを示しています。彼らは、この貴重な小さな世界と、比較的破壊的な種族が、その天然資源を破壊し、自然法則に違反しているのを見ています。これが介入を生まないと思いますか?
一部の人々は、『もちろん異星人は私たちの許可を求めてここに来て、そして私たちの国々と政府が取り決めをするだろう』と考えています。
まさか!冗談でしょう?その代わりに起こることは、介入してくる種族が、人類の労働力を維持したいがために、介入と統合の計画を立てるということです。彼らはあなた方の世界では生きられません。彼らはあなた方にすべての仕事をさせます、原住民に金を採掘させます。あなた方の世界で起きたことと同じように。 彼らは原住民の許可が必要だと思いますか?おそらく、彼らはあなた方に許可を与えるよう誘導する方法を見つけようとする可能性はあるが、いずれにせよ、彼らは欲しいものを手に入れるつもりです。今日の世界におけるあなた方の状況では、あなた方が彼らを止めない限り、訪問者たちは彼らの望むものを手に入れます。あなた方が彼らを止める方法は、単にテクノロジーを使うことではありません。知性と狡猾さです、そして人間の家族の協力です。
介入に対抗するための第一歩は意識ですが、人々の恐れ、不安、失敗した理想主義のために、意識は本当に大きな第一の段階です。自分自身の恐れに向き合えますか?自分の弱さを直視できますか?この状況について少しでも考えたことがあるのなら、もしかしたら自分の評価がとても間違っていたのかもしれないという事実に向き合えるでしょうか?人々はこう言うかもしれません:「まぁ、分かった、意識は必要だろうね。さぁ、次は何?」 この反応なんて!彼らはやっぱり意識という段階はどれほど難しいか理解していません!
次のステップは、自分自身に対する見方や世界に対する見方に、大いなる共同体の視点を作り出すことです。もし人類が、これらの資源を保護し維持することこそが、将来の人類の自由を維持することだと認識することができていれば、世界の資源を破壊することになると思いますか?人類が自らを維持する能力を失い、高度な技術だけでなく、基本的な資源さえも外国勢力に依存するようになれば、自由を失うことになります。
あなた方は、もしかしたら「信じられない。私たちは自由を失うわけがない。」と言うかもしれません。しかし、客観的に考えれば、自由を失うことが分かるでしょう。あからさまにせよ、さりげなくせよ、あなた方は宇宙の他の種族に依存するようになり、彼らが交戦条件を決定するようになります。彼らがあなた方の世界を支配するようになるでしょう。しかし、彼らは人類革命を起こしたくないので、人々が支配されることを受け入れられるような方法で、あなた方の世界を支配しようとするでしょう。だからこそ、今日起きている介入はとても狡猾で、時間をかけて慎重に行われているのです。もし彼らが大挙してここにやってきたら、誰もが反応し、大規模な戦争が起こり、世界の資源は深刻な打撃を受けるでしょう。そうなってしまえば、介入する種族を助けようとする、あるいは助けることのできる人間の労働力はここには存在せず、プロジェクト全体が台無しになってしまうでしょう。
あなた方は大いなる共同体という視点を持たなければなりません。あなた方はこの世界に生きる人間です。この世界は無防備です。価値があります。他者から求められています。他の種族による介入は、時間とともに増えていくでしょう。どうやって国境を守るのでしょうか?誰がここにいるのか、なぜここにいるのか、何をしているのかをどうやって判断するのでしょうか。これは秘密集団や秘密政府の特権ではありえません。
人類は成長し、子供じみた自己陶酔から脱却しなければなりません。自分自身や人生についての思春期の幻想を卒業し、現実的にならなければなりません。さもなければ、介入は続き、あなた方の世界は次第に外国勢力に支配されるようになるでしょう。そんな状況では、あなたは誰に不満や抗議、そして憤りを持ち込みますか?だからこそ、自覚と大いなる共同体の視点を得ることが重要なのです。それがなければ、次の一歩を踏み出すことすらできません。
第3のステップは、精神的環境について学ぶことです。精神的環境とは、影響力の及ぶ領域です。人々はこのことをほとんど知らないが、大いなる共同体、特に互いに競争する人種や組織間の交流においては非常に重要です。相手が何をしようとしているのかを見極め、微妙な方法で相手に影響を与えようとするためには、多大な時間を費やさなければなりません。これはテクノロジーによって起こるのではなく、意識によって、自覚によって、思考の投影によって、狡猾な活動によって起こるのです。
競合他社は一般的に同じテクノロジーを共有しているため、テクノロジーはアドバンテージにはなりません。優位性は狡猾さと説得力です。あなた方がまだこのことに気づいていないのは、自分が孤立して生きていて、宇宙は人間の原理によって支配されていると考えているからです。自分にはそのようなスキルがないことに気づいているからです。そして、それがあなた方を恐れさせ、傷つきやすくしています。だから準備の第3段階は、精神的な環境におけるスキルを身につけることです。その方法は実際に学ぶことができるが、まずは意識を持ち、大いなる共同体の視点を持たなければなりません。
それは、30年間結婚生活を送っている人が、決して結婚すべきではなかったのに、自分が過ちを犯したこと、自分の深い感情に従って結婚しなければよかったことを理解するのに30年かかったようなものです。しかし、彼らはこの30年間、結婚生活をうまくいかせようと努力してきました。
いわゆる「知」がなければ、あなた方は他人があなたあなた方に知ってほしいことだけを知ることになります。あなた方はは、他人があなたあなた方に考えさせたいことだけを考えるようになります。それが両親であれ、文化であれ、社会集団であれ、政府であれ、大いなる共同体であれ。あなた方は基本的に家畜のようになり、牧草地から牧草地へと連れ回されることになります。「知」がなければ、精神的な環境に追い越され、圧倒されてしまいます。「知」とは、あなた方の中にあるより深い霊的な心です。それは、あなた方の中で唯一、精神的環境の影響を受けない部分です。それは、欺瞞や操作から自由であるあなた方の唯一の部分です。
自分自身の自由が欲しいですか?それなら、「知」の道を学ばなければなりません。そうでなければ、自由とは何でしょう?もっとお金を持つのか?仕事を減らしてお金を増やすのか?それが自由か?自由がない富裕層を見てごらん。ああ、彼らはたくさんのお金を持っていて、好きなところどこにでも行けます。その中何人か働く必要もありません。彼らは自由なのか?それともお金や状況や特権や食欲や恐怖の奴隷なのでしょうか?
「人類の味方のブリーフィング」(The Allies of Humanity Briefings)のメッセージは、自由についてです。自由を得るためには、現在進行中の介入について認識しなければなりません。大いなる共同体の視点を身につけなければなりません。精神的環境とそれがあなた方に与える影響について学ばなければなりません。そして「知」の経験を積まなければなりません。テクノロジーはこのすべてにおいて小さな役割を果たすかもしれないが、主要な焦点ではありません。
私たちが「知」の道を学ぶと話について、単に直感を養うという話ではありません。それだけでは不十分です。あなた方は自分の中にある知る心と実際に接触する必要がありますが、これは簡単なことではありません。これをやりたくない、あるいはできない人はたくさんいるでしょう。しかし、人類が介入に抵抗し、大いなる共同体の意識を育み、あなた方の世界を取り囲む境界線を築き始めるためには、すべての人がそうする必要はありません。
あなた方のような惑星を征服して支配するのに武力は使えません。したがって、介入は巧妙でなければなりません。欺く必要があります。侵略的でなければなりません。力ずくは使えません。これはあなた方にとって幸運な状況です、武力なら人類は耐え抜くことはできないからです。それと別で、武力は介入の計画と望んでいる結果を破壊することになります。それを使わない理由はたくさんあります。
人類がほとんど必要性だと認識さえされていませんが、「創造主」(The Creator, God)は、大いなる共同体のスピリチュアリティの教えを示すことによって、人類のこの大きな必要性に応えました。この教えは、大いなる共同体における人生の現実を包含しています。このような教えがこれまで世界になかったのは、それがこれまで必要とされていなかったからです。たしかに、「知」の道をある程度強調するスピリチュアルな教えはたくさんあります。しかし、大いなる共同体における「知」の道は、これまで一度も世に示されたことがありませんでした。しかし、あなた方には今それが必要なのです。それは世界の宗教に取って代わるものではなく、成長し、存在し、進化し続けるための、より大きな範囲、より大きな視点、より大きな文脈を与えるものなのです。
しかし、不思議なことに、世界の宗教指導者たちは、大いなる共同体のスピリチュアリティを学ぶことにおそらく最も抵抗を示すでしょう。自分たちの伝統、権威、権力を維持するために、大いなる共同体の中で自分たちの伝統に未来を与えてくれるものを、おそらく否定するでしょう。人間の自由なくして未来はありません。人間の自己決定なくして未来はありません。そして大いなる共同体への理解なくして、ここにいる誰にとっても未来、少なくとも、喜びをもって受け入れられる未来はありません。
これは自分自身との関連性を理解しなければなりません。人生に求めるもの、なりたいもの、やりたいこと、持ちたいもの、そのすべてのことは介入があなたから奪えるでしょう。自分の個人的な目標を無心に追い求め、他のことはどうでもいいと言うつもり?
現在実行中の介入は起こっていないとしても、天然資源の劣化や世界の人口増加によって、いずれにせよあなた方が手に入るものは変わってきます。「まあ、欲しいものを手に入れに行くだけだから、他のことは気にしないさ」と言う人がいます。そう考える人は、イナゴのようなものです。土地に投げ込まれたイナゴは、目に入るものすべてを食い尽くし、荒れ地を残し、進むべき場所がなくなるまで移動し、やがてすべて死に絶えます。宿主を破壊する寄生虫のようになり、宿主が死ねば、寄生虫も死にます。これが人類の進歩の約束なのでしょうか?
「もちろん、そんなことはない!絶対に違う!」と多くの人は言うでしょう。しかし、彼らの行動が自己中心的なものであるならば、これは適切な例えです。あなた方の世界に介入している異星人は、人類を、この素晴らしい場所を破壊してしまうとする世界の破壊力だとのようなものとして見ています。異星人の態度は、「私たちがそこに入って彼らを止める。そして、もし彼らが自分たちの世界を正しく使い、維持することができないのであれば、私たちのために取っておこう。彼らは私たちのために働くことにさせよう。」これが介入している異星人の考え方です。これが異星人の観点です。もしあなたが異星人の立場だったら、こう考えるでしょう。人類の偉大な理想主義をもってしても、あなたもこう考えるでしょう。「この場所を破壊させるわけにはいかない!彼らが利益を得られないなら、我々が利益を得る!」 これはまさに、人間の政府ならどう対応するかということです。おそらく、あなた個人もこのように対応するでしょう。
介入する者は悪ではありません。彼らは状況をある視点から見ているだけです。彼らは「知」やスピリチュアリティに導かれているわけではありません、そうされていれば、介入は実行していないからです。
世界には、異星人が人類を救ってくれると思って介入を望んでいる人々がいます。彼らは異星人自身と同じ観点で信じています。彼ら自身の中でこの結論に達することもあります。介入によってこの考えが助長されることもあります。しかし結果は同じで、人間の自由と自己決定権の喪失、それは非常に完全になるでしょう。このことを考えれば、これがあなた方にとって最悪のシナリオであることがわかるでしょう。
だからこそ、あなた方に創造主は大いなる共同体への準備を整えているのです。だからこそ、それを学び、心に刻まなければなりません。だからこそ、認識を得なければなりません。人々は恐れと不安に直面し、自分たちが置かれている状況を理解しなければなりません。宇宙の中で自分たちがどのような立場にあるのか、先住民として、この世界の管理人として、自分たちの役割と責任を新たに理解しなければなりません。そして、自分たちが生まれ育った土地を守るために、個人として、集団として、持てる力を発揮しなければなりません。
人間の自由、理解、協力の発展を維持するために神様が人類に与えたものを理解するためには、あなた方の霊的な理解が変わる必要があります。宇宙では、これらを守らなければなりません。状況を明確に見るためには、空想や理想、さらには要求や期待を卒業しなければならないことを認識する必要があります。創造主は、人類が大いなる共同体の視点を獲得し始めることができるように、人類の味方にオブザーバーとなり、解説を提供し、メッセージを提示するよう求めています。
神様は精神環境と「知」についての教えを与えています。「知」の道を学ぶことは、人それぞれのスピリチュアルな旅です。「知」とは、あなたの中に住む大いなる知性です。「知」は、大いなる共同体との付き合い方を知っています。「知」は人間の信念、思い込み、先入観、欺瞞、理想、野心に支配されることはありません。「知」は純粋です。あなたの聖なる部分です。「知」は、知っています。あなたの心は、考えます。「知」は、知っています。両者の間には大きな溝があるように見えますが、両者は一つになることができます。そしてこれが、あなたのスピリチュアルな成長の究極の目標なのです。この大いなる共同体スピリチュアリティの贈り物は、人間の自由に真の基盤を与え、個人に力を与え、集団に力を与え、世界に介入する人々に日々力を奪われている人類に力を与えることを意味しています。
この談話が状況を明確にすることを願っています。しかし、実際には最初の一歩に過ぎません。この談話、あるいは『人類の盟友ブリーフィング』を読んだからといって、「私はよくわかった、何をすべきかわかった」と思ってはなりません。あなたはまだ何をすべきかわかっていません。しかし、理解を深め始めているかもしれません。このことがあなたの中で何かを深く揺さぶるなら、あなたの中の「知」が活性化しているのです。しかし、この先には学ぶべきことがたくさんあります。
人類が世界を超えた人生の現実に遭遇することは、新たな課題であり、おそらく人類がこれまでに直面した最大のものです。学習は急速でなければなりません。すでに知っている、理解しているなどと思ってはいけません。あなたはまだ分かっていません。あなたには考えがあるかもしれません、このメッセージに共鳴するかもしれません。重要だと感じるかもしれませんが、それでも訓練と準備をしなければなりません。山が好きだから世界で一番高い山に登るのではありません。登山靴を持っているから世界で一番高い山に登れるわけではありません。訓練や準備をしなければ、登頂は叶わないのです。
これはあなた方の時代の挑戦です。これはあなた方の時代の偉大さです。ここにこそ、あなた自身の偉大さがあります。個人の追求に自分の偉大さを見出すことは決してできない、そこには偉大さがないからです。あなたが自分の偉大さを見出すのは、世界における真の必要性に応え、今でも、この瞬間にもあなたの中に生きている召命に応えるときだけなのです。もしあなたがそれに応えることができれば、これこそがあなたの偉大さを引き出してくれる重大な状況なのです。