第二の解説: 宣撫工作プログラムの効果
質問をすることは簡単です。それより難しいのでは、真の答えを見つけることです。人々は答えを欲していますが、まだ必要な認識がありません。ですから、人類の同盟のブリーフィングの意味を考える際、人々はより広い大いなる共同体の認識と感受性を養う必要があります。単に質問の答えを得るだけでは、この認識や感受性は養われません。実際、正しい答えを持っていても、それを経験できない、認識できない、適用を見ることができない場合、それはどれだけ役立ちますか?尋ねている人には無駄です。 したがって、やはり、常に意識と感受性、そして知る能力を養うことが不可欠なことです。人々は証拠を欲しがるから、専門家と思われる人のところに行き、専門家が意見を言います。「ああ!専門家がそう言ったのだから、これが証拠に違いない」と人々は言います。しかし、それはすべて意見なのです。「知」がなければ、すべては心の中の意見にすぎません。そしてこれらの意見は、人々の条件付けや態度、気質によって形成されています。人は何かを経験し、結論や評価を下すことができるが、その評価は完全に間違えることがあります。しかし、私たちがここで話しているのは、より高い意識についてです。答えがあるという話ではありません。この高い意識がなければ、答えは十分ではないし、その応用も理解できません。最終的には、この高い意識を獲得しなければなりません。この意識は、人間の文化、人間の条件づけ、そして生物学的なアイデンティティーさえも超越しています。それは、あなたの周囲、そして他のすべてのものを通して動いている生命に対する意識です。植物や動物、天候や世界の動きを理解するには、この高い意識が必要です。精神環境におけるネガティブな力の存在や、あなたに奉仕するためにここにいる天使の力の存在を理解するためにも、この意識が必要なのです。そしてもちろん、世界の大いなる共同体の力に気づき、その現れ、意図、方法を認識するためにも、この意識を持たなければなりません。敵と味方を見分けるには、この高い意識が必要なのです。したがって、人々が多くの質問をするとき、本当の答えは高次の意識を発達することなのです。それは、あなたが行きたがらないかもしれませんが、理解しようとするなら、行かなければならない場所なのです。あなたが何を知っているのかという謎、あなたが誰なのかという謎、あなたがなぜここにいるのかという謎、そしてあなたが何に応えなければならないのかという謎です。あなたがここにいるのは、認識も理解もできない答えで心を満たすためだけではありません。そうすれば、物事は正しい方向に進みます。しかしもちろん、謎を許せず、答えが必要で、答えがあれば疑問が解決すると考える人々もいます。このような人々が、『人類の同盟のブリーフィング』について問い合わせる人々や、それについてあなたに質問する人々の大半を占めることになります。あなた自身は、人類の同盟について全質問を答えする事が出来ない。同盟は何者なのか、どこから来たのか、どうやってここまで来たのか、宇宙船の推進力や方法は何なのか、どこに隠れているのか、どうやって連絡を取っているのか。これらすべての質問に一体どうやって答えられるでしょうか?しかし、あなた方は人類の同盟を意識することができ、彼らのメッセージの正当性を認識する能力を持っています。あなた方は人生と自然について十分に学び、彼らの視点と彼らが強調すること、そしてそれがなぜ必要なのかを理解しています。これは高次の意識によるものであり、あなた方が答えを持っているからではありません。人類の同盟のブリーフィングは質問を促すものです。すべての質問に答えないのは、あなた方は先により高い意識を開発しなければならないからです。もし読者に自分たちのことをすべて話してしまったら、人々はこう言うだろう:「こんな話は信じられない!マーシャルの作り話だ!」。高次の意識がなければ、人々はつながりを持つことができないのです。すでにあなた方は、介入によって生み出された宣撫工作 (pacification program) の効果が見ることができます。自分自身の傾向によって、あるいは外部からの影響によって、この宣撫工作の餌食になっている人々がすでに大勢います。結果一つとしては、自分は本当は何も判断できないのだと思い込まされます。「私は否定的になりたくないさ、何でも受け入れる。」彼らに誰が何でも受け入れるように、と言ったのか。人々の批判的な識別力は破壊されています。何かが起きると、人々は「ま、私は状況を判断したくないんだ」と言います。いったい何を言ってるんだ!?何が起こっているのかを評価する必要があります。こういう人たちは、自分は批判的なことはできないと思っています。「ま、批判的なことはできない。否定的になりたくないから」と言います。実は、本当に適切でないことを口に出して言うことは必要かもしれません。でも、この人たちはそれすらできません。この宣撫工作の影響を受けた人々は、決断することすらできません。何かを見て、「これは良いことだ」とか、「これは私にとっては良くないことだ」と言うことが出来ません。そのため、人生とはそういうものだと考えて、すべてを歓迎します。人生とはそういうものではないのです。すべてを見ようとしなければならないのは事実です。しかし、すべてを受け入れ、すべてと結びつき、すべてを歓迎しなければならないというのは真実ではありません。もちろんそうではない!高次の意識とは、批判的な評価をしないという意味ではありません。単に、より高い視点から物事を見るということです。これは、すべてが灰色になるという意味ではありません。すべてがクリアになるということです。何をすべきで何をすべきでないか、何が良くて何が良くないか、はっきりわかるようになります。これがスピリチュアルな勉強の賜物でないなら、誰かが無能にされています。自分の条件や信念に基づいて状況を判断しないことを学ばなければならないのは事実ですが、最終的には「知」、つまり自分の中にあるスピリチュアルな知性に基づいて状況を判断しなければなりません。これが、あなたの識別における最終的な裁定者なのです。しかし、人々はこのことを認識していません。最初の一歩を踏み出し、それが最後の一歩だと思っています。最初のステップは、判断しないことです。つまり、何かを見て認識することを学ばなければなりません、すぐに判断してしまえばこれはできません。これが最初のステップですが、人々はこれが最後のステップだと思っています。最後のステップは最初のステップとはまったく違います。その瞬間に物事を判断するのではなく、まず自分が何を見ているのかを見、知り、認識する必要があるからです。これが見識です。物事をあからさまに判断していては、見極めることはできません。しかし、この識別の先に、何かが良いものかどうかをはっきりと見なければなりません。介入は本当に人類にとって良いことではないことを認識するかもしれません。それ自体、介入は良いことではありません!しかし、「まぁ、私には状況を判断することはできない」と言うのであれば、どうやって知ることができるでしょうか?「まぁ、多分他のレベルでは良いことなんだろう」と考えたくなるかもしれません。平和ボケした人は、「起こることすべてが私たちにとって良いことなのだから、それがどう良いことなのか見てみよう」と言うでしょう。これは人間の無知というだけでなく、人々に分別なく、知らず知らずのうちに物事を信頼するよう促す宣撫工作の効果を示しています。これはどこにでもあることです。UFOコミュニティでも見られます。スピリチュアルなコミュニティでも見られます。あなたの周りにいる人々の中に、この現象が現れています。人類の同盟のブリーフィングは、識別を提唱しているので、波紋を呼ぶでしょう。彼らは「介入は人類にとっては悪い」と言っています。しかし、多くの人々はこう言います;「きっといいに違いない。つまり、悪いはずがない」、彼らは困惑しています。どう考えていいのか分からないのです。「まあ、わからない。何も決められないんだ」何を言っているんですか!?意思決定ができなくなったのでしょうか?もしそうなら、誰がそれを無効にしたんでしょう。すべてを受け入れ、すべてを受け入れなければならないと考える人がいるのはなぜでしょうか。彼らは偏見を持たないことを望みますが、それは最初の一歩に過ぎません。彼らは次の一歩を踏み出しません。識別力を働かせないのです。場合によっては、識別力が低下していることもあります。これは重大な問題です。この宣撫工作の結果、人々は見ることも知ることもできず、基本的には混乱し、怯えながらも、ただ従うことになります。「まあ、そのままでいい。自分の人生に起こっていることを受け入れようとする。」平和ボケしている人は抵抗できません。何かに抵抗することはできません。何でも受け入れなければならないと考えています。これはどこから来たのでしょうか?このような疑う余地のない受容の考え方は、現在目にするスピリチュアルな教えの多くに蔓延しています。そして人々はこうした考えを心から受け入れています。人々は、「これが崇高な真理だ。私たちは高次の真理に従う」と考えます。このことを宣撫工作に照らして考えてみれば、この考え方がいかに蔓延しているかがわかるでしょう。おしゃぶりを受けている人は、より高い意識を獲得していると思い込まされますが、実際にはすべての力が奪われているのです。宣撫工作は、人間心理と人間の傾向の理解に基づいています。ここで人々は、神様に受け入れられるためには、基本的に神様が与えてくれたものを手放さなければならないと考えるように仕向けられます。人々は「神様に受け入れられるためには、私は柔和で温和で、偏見を持たず、すべてを受け入れなければなりません。私はすべてのものの中に良いものを探します」と考えるのです。これはどこから来たのでしょうか?このような受容は、純粋に人間の発明なのでしょうか?その場その場で幸せになるために、人が勝手に作り出したものなのでしょうか?まあ、場合によってはそうかもしれません。しかし、人類の宣撫について考えてみましょう。人々は実際にどうやって宣撫されるのか?聞きたいことを聞かされ、それ以外のことを考える必要はないと言われます。結局のところ、自分に起こることがすべて良いことなら、何も抵抗する必要はありません。ただすべてを受け入れるのだ!これが宣撫工作なのです。この影響は、あなたの周りに遍在しつつあります。人々は介入が行われている場所に集まり、そこでの 「エネルギー」がとても高力だと思っています。人々は「ここはとても啓発的な場所だ」と言います。なんてことだ、彼らは火の中に飛び込んでいます!彼らは心から自分自身を捧げているのです。そして、「ああ、ここは本当に高力的な場所なんだ、ここがいい場所だ!」そして長くいればいるほど、何もわからなくなり、元の生活に戻れないと思うようになります。彼らはますます元気がなくなり、自己中心的になり、機能不全に陥ます。この離脱は、より深いレベルでの不安、つまり自分の人生が進展していないこと、自分が行くべきところに進んでいないことを知っているレベルでの不安を生み出します。しかし、このような人々は、この不快感は恐怖の一部であり、自分自身から消し去り、祓わなければならない心理の一部であると考えます。そうして、自分の人生に問題があり、人生を失いつつあることを告げているまさにその兆候を無視しようと懸命になるのです。彼らはこう言います、「すべてが愛だ、ただ愛であれ。愛しかない」。もし彼らが自分の言っていることを理解しているなら、それは真実でしょう。しかし彼らは、愛とは単に受動的で、幸福で、従順であることだと考えています。今、彼らはそれを他の人々にも拡大し、彼ら自身がおしゃぶりとなっています。そしてしばらくすると、自分たちが何を知っているのかわからなくなります。何か本当に悪いことがあれば、不快感を感じるでしょうが、それは自分の心理的な問題の一部だと考え、それを見過ごそうとするか、取り除こうとするか、葬り去ろうとするでしょう。そして、介入に言われたことは何でもします。「私はメッセージを受け取った。私はこうしなければならない。私は導かれている。これは私のための内なる導きなのだ。」と言うでしょう。この状態から人々を目覚めさせるのはとても難しいです。まずはあなた自分自身が目覚めなければなりません。人々は無気力と幸福の追求に没頭し、彼らはもはや手の届かないところまで行ってしまっています。彼らはあまりにも騙され、宣撫されているので、彼らを目覚めさせるためにはもはや爆弾を彼らの前に投げ込む以外に方法はないかもしれません!宣撫工作の効果は、各地のスピリチュアル・コミュニティで見ることができます。確かにすべての人がそうではないが、多くの人々にとって、黙認は簡単な道、真の幸福への道のように見えます。何かを知ることをあきらめ、何かを評価することをあきらめ、何かに抵抗することをあきらめます。「ああ、これからはすべてが幸せだ。これから順風満帆だ!」介入はこのような親切な人々を単に彼らを無気力状態に誘い込んで、そして彼らは言われたことと指示されたこと何でも受け入れるでしょう。そのあと、彼らは介入にとっては問題にはなりません。彼らの自然な知識は意識から取り除かれ、知識自体が敵になります。彼らはそれを恐れだと思うでしょう。ネガティブなものだと思うようになります。そしてそれに関わりたくないと思うようになります。これは実際に今起きていることです。私たちが話しているのは極端なケースですが、こうした極端なケースは範囲も規模も拡大しています。より多くの人々がこのような状態に陥っています。若者でも、特にこのような状態に陥りやすい人々もこうなっています。考えてみてほしいです:真の幸福は、自分自身に対して誠実することです、自分自身の誠実さを育むことです、そして自分の誠実さを持って立派に生きることから生まれます。真の人間関係とは、他者と真の誠実さを分かち合うこと、誠実な人間関係を築くこと、自分の深い性質と人生の目的を表現する人間関係を築くことに基づいています。しかし、平和ボケした人の人間関係を見てみましょう、「まあ、気持ちよければ一緒にいる。大丈夫だ。でも、一緒にいなくても大丈夫だし、何をやっても大丈夫だし」とこのような人々が言います。でも、大丈夫じゃないです。しかも、彼らはそれが大丈夫じゃないことを知っていますが、彼らの自然な知識が彼らの意識から取り除かれています。その結果、彼らはこう言うのです、「私はそのことを感じないようにしておく。私の幸福、平和、平静を乱すから。」と言います。しかし、平和や平静がありません、誠実さがないからです。そして、誠実さがないこそ、本当の関係が存在しません。例えると人々が食べたいと思っている食べ物に、毒が入り込んでいるのがわかるだろうか。スピリチュアルな食べ物が毒されているのです。現在、本当の識別力を教えているスピリチュアルな教師は何人いるでしょうか。真の個人的誠実さを奨励している人は何人いるでしょうか。どれだけの教師が、人々にはっきりと見ることを勧めているでしょうか。どれだけの教師が、生徒たちに世間への対応を促しているでしょうか。確かに何人かはいますが、周りを見渡せば、知らず知らずのうちに宣撫工作が推進されているのがわかるでしょう。エイリアンの意図にぴったりです。時間はかかりますが、彼らにとってはそれだけの価値があります。介入は、彼らのアジェンダが流れることのできる、従順な人々の広大なネットワークを持つことになります。そして国民はそれがどこから来たのか知ることはありません。別のシナリオでは、状況はより複雑になります。ここで介入は暗黒面を見せ始めます。誰もが簡単に宥められるわけではありません。介入によって宥めることができない人々は、それに反対する人々を裁くように介入によって指示されるでしょう。これは特に、極端な宗教観や偏見を持っている人々に当てはまります。このような人々は、自分と同じ考えを持たない人々を非難するように仕向けられるでしょう。実際、一部の宗教団体では、イエス・キリストの敵は救われないなら、すべて根絶やしにしなければならず、再臨には人類一族の浄化が必要だというメッセージを受け取る人々がいます。今現在、そのように指示されている個人たちがいます。彼らは必ずしもこれらの宗教共同体の指導者たちを代表しているわけではありませんが、彼らのフラストレーションが高まるにつれて、その強調度は増していくでしょう。彼らはイエス・キリストの偉大な到来を待ち望んでいますが、それは人類一族の罪深さのために起こっていないと思っています。しかし、やって来るキリストは、本物のではなく、介入によって準備されるものになるのです。人々が「知」を発達していないため、人々が認識できない偽りのキリストとなります。このイエス・キリストは平和をもたらすのではなく、清算をもたらします。この清算は信奉者たちに歓迎されるでしょう。なぜなら、信奉者たちは自分たち自身が不満でいっぱいで、人類の罪深さのために自分たちの預言が成就しておらず、地上に天国をもたらすためにはこの罪深さを取り除かなければならないと信じているからです。精神環境の操作に長け、人間の傾向や弱点を熟知している大いなる共同体の存在(介入)が、そのような影響力を容易に行使できることがわかるでしょうか。この操作のせいで、「正義」の人々が、自分たちに反対する人々や、世界で「知」を表現し、守ろうとする人々に対して戦争を始める可能性があることがわかるでしょうか。このようなことがどれほど簡単に起こるかわかるでしょうか。イエス・キリストを信じる真の信者でさえも標的にされるでしょう。なぜなら、彼らはこのような不満を共有していないため、介入によって指示されている個人と一致していないからです。キリストを信じる真の信者は、調和と受け入れと寛容を強調するでしょう。しかし、介入に指示されている人々は、失敗した予言に対する復讐を望んでいるだけです。彼らは神様の罰が下されることを望み、その執行人になることを望んでいます。自分たちが信じる神様の意志を実行するために、裁判官や陪審員になることを望んでいるのです。介入はどのようにして敵対勢力を根絶やしにするのでしょうか。介入が十分な力を得れば、それがどのように実行されるかは分るでしょう。宣撫が達成できない場合、介入は人と人の間に敵対行動を引き起こそうとします。世界がより困難になり、資源が減り、人口が増え、競争が激化し、悲劇が頻繁に起こるようになると、人々の寛容の感覚は失われ、不平不満は介入によってだけでなく、野心的で権力の座につこうとする人々によって助長されます。これは、人間の忠誠心を単純化し、再構築しようとする異星人のアジェンダに見事に合致しています。介入は、このような結果を達成できるのであれば、どのような宗教を使おうが構いません。敬虔なキリスト教徒も、イスラム教徒も、ヒンズー教徒も、仏教徒も、「知」の道を学ばなければならないのはそのためです。そうしなければ、霊的な影響と大いなる共同体の影響の違いをどうやって見分けることができるのでしょうか。見識のない人には、霊的な影響がすべて天界の高いところから来ているように見えます。それなら、誰を信じればいいのでしょうか。介入は、最も介入のメッセンジャーになりやすい人々を活性化させるために、素晴らしいスピリチュアルなシナリオを作り出すことができます。これは、介入にとって難しいことではありません。彼らは単にドラマを演出し、誰かをその渦中に置くだけにし、そしてその人が騙されていることが分かりません。人々は大いなる共同体のある存在とは何か分かっていません。人にとって、霊的な影響と大いなる共同体の影響を区別できず、自分のレベルではなく、すべてもっと高いところからやってくるものなのだと思っています。あるシナリオでは、熱心な人にイエス・クリストのイメージが投影され、熱心な人は「イエス・クリストが私のところに来てくださった」と言います。そしてそのイエス・クリストは、「あなたは私の真の信者を集め、他のすべての人々を糾弾しなければならない!」と言い、それに対し熱心な信者は「はい、ご主人様。従います。」信じられない?確かに信じがたいかもしれません。不可能?いいえ、十分あり得ます。エイリアンのアジェンダは、統一された、従順な人間の忠誠心を作り出すことであり、それゆえ、反体制的な要素、従順でない要素を根絶しなければなりません。これは自分たちではやりません、なぜなら、そうしていたら、介入があることを誰もが知ってしまうからです。その代わりに、介入は人々の宗教的信念や偏見の名の下に、人間にそれをやらせるのです。したがって、その背後に何があるのか、誰も知らないでしょう。サタンやルシファーだと思う人はいるでしょうが、本当のことが分からないでしょう。人類の最大の弱点は無知です。人類の最大の強みは「知」です。大いなる共同体、つまりあなたが住んでいる有人宇宙は、非常に洗練された相互作用と影響力の環境です。もし人間が偏見や憎しみ、不平不満に従い、精神的な影響と大いなる共同体の影響の違いを見分けることができなければ、大いなる共同体は極めて危険な環境となります。大いなる共同体の中の誰かが、やがてあなたを彼らの集団に、あるいは彼らの大義に引き入れるでしょう。彼らはどうやってそうするのでしょうか?彼らは新しいことを教えるのではなく、あなたがすでに信じていることを利用するだけです。だからこそ、「知」の道を学ぶことが極めて重要なのです。大いなる共同体における人生と霊性の現実について教えてくれるからです。操作の本質と、自分自身と他人を守る方法を教えてくれます。宣撫工作の影響と現れを認識する方法と、他の人々に大きな影響力を持つこれらの力に対するあなた自身の免疫力を高めるために、今何ができるかを教えてくれます。これは今日の世界において極めて必要なことです。善良な良心の持ち主である男女が、日々、分別のつかない説得に陥っています。それは徐々に進行します。しかし最終的には、自分の人生に何が起こっているのかさえわからなくなり、どんな矯正にも敵対するようになります。あなた自身が大いなる共同体への意識を高め、人類の同盟のメッセージを他の人々と共有し始めると、このような抵抗を目にすることになるでしょう。人々が反応できないのを見るでしょう。まるで誰かが彼らの中にあるスイッチを入れてしまったかのように、何もわからなくなってしまうのです。そして、何らかの程度で反応したとしても、自分をなだめようとするかもしれません、このように言うでしょう、「まあ、それはひとつの見方に過ぎない。この状況の良いところを探さなければならない。状況を受け入れなければならない。来訪者がここにいるのなら、彼らは何かの目的のためにここにいるに違いない。私たちはその目的を受け入れなければならない。彼らの中には善良でない人もいるかもしれないが、善良な人もいるので、彼らを理解をするために彼らを愛しなければなりない。」これはすべて宣撫工作による心的状態です。ただ屈服すればいいことです、こんな考えは簡単なことです。もし幸福が人生の目標なら、あなたは屈服してしまうでしょうし、自分の誠実さを損なうことになります。自分の不安を否定することになります。何かがおかしいというサインや旗や手がかりを見過ごすことになります。「まあ、すべてはただ人生のドラマに過ぎないんだ。私はいいからさ」と自分自身に言うかもしれません。今現在、エイリアン介入が実行中のため世界中で賢者が後退しています。擁護できる立場にあるのはごく少数です。マーシャル・サマーズもその一人です。しかし、彼には他の人々の助けが必要です。世界は失われたわけではありません。しかし、失われる危険性は高まっています。従って、単に隠居して、どこかで田舎の牧歌的な生活を送り、すべて無視をしながら、ただ毎日を幸せに過ごし、自然に戻り、水差しを運び、トウモロコシを植え、食事を作り、季節を生き抜くということはできません。それはもう終わったことです!自覚を持ち、自己決定し、自分自身の誠実さを持とうとするなら、もう逃げることはできません。森へ逃げ、何も起きていないふりをすることはもうありません。自分自身に対する絶え間ないセラピーをする時期がもう終わりです。結局のところ、唯一の真のセラピーとは、自分が知っていることに真摯に向き合い、自分が知っていることのために立ち上がり、自分が知っていることを持ち運ぶために必要な知恵を学びます。これができるようになることが、あらゆる形の真のセラピーが可能にしなければならないことの結果なのだ。子供の頃に戻って修復するつもりですか?両親が与えてくれなかった片思いを見つけるつもりなのでしょうか?このようなことに集中しすぎる人は障害者になります。自分の心の中で車椅子に縛られてしまうのです。彼らは皆、真実の擁護者になれるはずなのに、その代わりにセラピーの擁護者になってしまいます。今の世の中で行われているセラピーの多くは、真実につながるものではありませんし。逃げることはできません。自分自身の誠実さを確立し、真実を知り、真実のために立つことなしに、個人的に自分を満たすことはできません。人類は団結しなければ、大いなる共同体に支配されてしまいます。考えてみれば、これは明らかなことです。もしあなたの世界を超えた他の勢力が、あなたの惑星とその資源、そして人類の忠誠を欲しているとしたら、もし人類一族が分裂していれば、その勢力によって結局克服され、取り替えられるでしょう。まるで、「いいよ、どうぞ!皆のための部屋はたくさんあるよ!」介入に抵抗する人々は、無知で恐れを抱いていると非難されます。ある者は、自分たちの特別な利益を守るために介入に抵抗していると非難されます。そして、そうした利害のために介入に抵抗する人々もいます。しかし、介入が介入だからこそ抵抗する人々もいます。しかし、宣撫工作が実行中なので、それに対して、誰がそれを介入そのものとして指摘できるのでしょうか。抵抗や非難を受けることなく、誰が「これはこういうことだ!」と言うことができるのでしょうか。これが今現在、大問題なのです。私たちは、人々の識別力、思慮深さ、そして批判的な能力の開発を奨励します。私たちがここで奨励するのは、個人的な偏見や社会的な条件付けに基づくものではなく、「知」に基づくものです。「知」とは、あなたの中にある知っている部分です。創造主があなたの人生の挑戦と機会を満たすためにあなたに与えた、あなたの中のより大きな心です。それはあなたの中にある良心の声です。人は自分の信念体系を比較し、お互いを批判しますが、私たちがここで話しているのはそういうことではありません。私たちは、人類を奴隷化するような状況から救うことについて話しているのです。あなたの世界に介入している大いなる共同体からの力の中で、人間の自由と自己決定を守り、人間の誠実さを奨励することについて話しているのです。これを達成することは不可能なのでしょうか?ある観点からみると、真実は常に不可能に見えるものです。真実の推進と保全は、常に乗り越えられない困難に直面しているように見えます。しかし、それは真実が十分な人々に評価され、認識され、深く感じられていないからに他なりません。人類をこの苦境から救うものは、人類をあらゆる苦境から救うものと同じです。それは、真実に向き合い、なすべきことをなすことです。今現在、世界には、何か本当に悪いことが起きていると知っているために、非常に不快な思いをしている人々が大勢います。彼らはおそらく、その不快感は自分自身の心理的な問題だと考えているのでしょう。政治的、経済的、環境的な問題だけだと思っているのかもしれません。大いなる共同体としての自覚がないのであれば、他の何かに注意を向け、他の原因を探さなければなりません。しかし彼らは、今起きていることは何かおかしいとわかっています。物事が正しく感じられないのです。物事は動いてはいけない方向に動いています。何かが起こっていて、それが物事を変えようとしていますが、良い方になりません。そのため、それを感じている人たちは不快感を抱いています。彼らはこの不快感とともに目覚め、この不快感とともに眠りにつきます。ただそこにあります。彼らが社会に出掛けに行くときも感じます。何かがおかしいです。この違和感はどこから来るのでしょうか。なぜそこにあるのでしょうか。瞑想してもいいです、休暇に行くこともできます、美味しいものを食べることもできし、喜びの瞬間を味わうこともできますが、また不快感に戻ります。何かがおかしいのです。それは単に世界に貧困や戦争や困窮があるからではありません。これらは常にあなた方とともにあります。何か他のことが起こっています。他の何かが本当に正しくないのです。しかし、周囲を見渡しても、ほとんどの人は気づいていいません。彼らは知らないし、感じません。そして気にも留めません。あるいは言い訳をします、「まあ、そういうことだ。それは人間の本性なんだ」とか、「それは人々の恐れなんだ。もっと愛情を持てばいいんだ」などの情けない言い訳をこのとてつもないことに対して言います。あなたの意識は成長する必要があります。あなたの中にある「炎」は成長し、より強くなる必要があります、つまり真実の炎、「知」の炎です。そうでなければ、あなたの炎はいつも消されてしまいます。個人的な曖昧さ、個人的な恐れ、個人的な好み、あるいは宣撫工作の産物である無気力によって。真実の光は強くならなければなりません。欺瞞は深く複雑です。否定は浸透し、黙認は浸透し、日に日にその勢いを増しています。それを突き破ることができるのは、あなたの中の「知」だけです。人類は自由を失いつつあります、ゆっくりと、しかし確実に、そしてこの喪失が非常に完全なものになるような形で起こります。その背後には巧妙なアジェンダがあるからです。このようなことが起こり得るのは、今日多くの人々が持っている素質のためだ。このようなことが起こりうるのは、現在世界の多くの地域で定着している宣撫工作の影響によるものです。したがって、すでに不快感を感じている人々や、問題を感じながらもその原因を特定できない人々を活性化させるには、勇気と強い主張が必要となります。納得し始めたものの、自分自身とその周囲に問題があることを知り、霧が立ち込める中で心の平静を保とうと奮闘している、誠実さが失われていない人々に対しても、手を差し伸べるには、強力な擁護が必要です。完全に黙従してしまった人には、解決策はないかもしれません。彼らはあなたの手の届かないところにいるかもしれません。彼らに到達するには、より大きな力、天使のプレゼンスが必要です。しかし、ここでもかなり難しいです、宣撫工作による平和ボケが完全になり、人々は、自分たちを救おうとしている恩寵の手そのものが、まさに自分たちが避けなければならないものだと考えるようになるからです。不快感を抱いている人、自分たちの誠実さが侵害されていることを知っている感覚を抱いている人、介入の説得を感じ始めているが、それに黙従していない人にしか、あなたは接触することができません。しかし、このような人は多いです。あなたは少数派に向かって話しをすることにはなりません。この擁護活動には時間がかかります。数週間、数カ月、数年でできるものではありません。継続しなければならないものなのです。人類の大いなる共同体への出現は、介入のために非常に困難なものとなるでしょう。より高い意識を培い、保護し、十分な数の人々に維持させる必要があります。より高いレベルの見識と慎重、誰と付き合い、何を伝えるかに対するより大きな配慮が必要になるでしょう。世界と、今世界に存在し人類に影響を及ぼしている力に対して、より高い意識と感受性が必要になるでしょう。この意識と感受性を発達させ、個人の誠実さと、この誠実さを表す人間関係を確立することは、成功のためには絶対に必要となります。これこそが、「知」をこの世に存続させることなのです。これこそが自由を築き上げ、世界に自由を存続させることになります。これこそが人類を維持することなのです。一度誠実さと自由をうしなうと、取り戻すのは非常に難しい。とても難しいです。人間関係や金銭、利権のために誠実さを犠牲にしてきた人であっても、たとえこれらの割と普通の状況であったとしても、それを取り戻すのは非常に難しいです。多大な努力とリスクを負わなければなりません。それならば、問題から抜け出すことよりも、そもそも問題に巻き込まれないことの方が簡単です。あなたは自分の世界の囚人にはなりたくないでしょうし、自分の心の囚人になりたくないでしょうし、誰の、何の囚人にもなりたくないでしょう。人間関係や金銭、利権のために誠実さを犠牲にしてきた人であっても、たとえそれが割と普通の状況であったとしても、それを取り戻すのは非常に難しいです。多大な努力とリスクを負わなければなりません。それならば、問題から抜け出すことよりも、問題に巻き込まれないでいることの方が簡単です。あなたは自分の世界の囚人にはなりたくないでしょうし、自分の心の囚人になりたくないでしょうし、誰の、何の囚人にもなりたくないでしょう。あなたはこのような問題に関して大いなる共同体の視点を持つことができれば、人類には大きな困難と深刻な弱点があるにしても、宇宙の中ではまだ比較的自由であることを認識できるでしょう。もちろん、人類はの世界の表面で孤立して生きているあなた達には、その視点がないため、このことが分かりません。だからこそ人類の同盟のブリーフィングは貴重なのです、あなた方自身が持つことのできない視点を与えてくれます。この視点がなければ、宇宙の他の生命と自分を比べることなどできないでしょう。このような自由は稀であり、大いなる共同体では十分に保護しなければならないことを知らなければ、自分の自由の価値を一体どうやって理解できるのでしょうか。だからこそ、人類の同盟はより大きな視点を提供してくれるのです。しかし、ある人は文句を言います、「答えを教えてくれない。日付、事実、数字、場所も教えてくれない。」重要なのはそこではありません。重要なのは理解であり、視点であり、より高い意識なのです。人類の同盟はどこから来たかなんてどうでもよいでしょう。彼らの世界の名前など、あなた方にとっては無意味なことです。あなた方は長い間、そこに行くことはできないし、確かに、あなたが生きている間はね。人類の同盟は、大いなる共同体と介入について、あなた方が知るべき重要なことを教えています。誰がここにいるのか、なぜここにいるのか、何をしているのか教えています。彼らは、この介入に対抗するために何をすべきかを指し示しているのです。これには、大いなる共同体の認識と高い意識を育てることが含まれます。この発展は常に強調されなければなりません、これは極めて重要です、そうしなければ人々は要点を見逃してしまうでしょう。これは単なる現象的なことで、おそらく真実ではないのだろうと思い込んでしまうでしょう。「この同盟は、名前も、どうやってここに来たかさえ教えてくれない」と言う人もいるでしょう。これは愚かなことだ!神様が使者を送ったとして、その使者がつまらない質問に答えないからといって、その使者を否定するのか?神様は人類を教育し、人類が今直面している重大なリスクを警告するために、人類の同盟を遣わされたのです。些細な情報が提供されないからといって、これを否定するのでしょうか。だからこそ、大いなる共同体の認識を高めることが今、極めて重要なのです。だからこそ、より高い意識が促進し、維持しなければならないのです。そのために、あなた方は「知」を世界に生かすのです。この大転換期において支援され、称えなけられなければならないのは、このことなのです。この素材を尊んでください。恵みの賜物であることを認識してください。それに応えなさい、その勇気を持ってください。宣撫工作に抵抗してください。無気力になり、自分自身の「知」に無反応になる影響に抵抗してください。何よりも自分の幸福のために身を捧げようとする誘惑に抵抗してください。他の信仰、文化、国家の人々を攻撃する誘惑に抵抗してください。認識を通じて、擁護を通じて、理解を通じて、介入に抵抗してください。人間の協力、団結、誠実さを促進してください。